|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 岡 : [こう, おか] 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground ・ 城 : [しろ] 【名詞】 1. castle ・ 鳥 : [とり] 【名詞】 1. bird 2. fowl 3. poultry ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city
防己尾城(つづらおじょう)は、因幡国高草郡(現在の鳥取県鳥取市金沢)にあった日本の城(平山城)。 1579年(天正7年)、因幡国の有力国人・吉岡将監定勝によって築かれ、1581年(天正9年)の羽柴秀吉による因幡侵攻に伴い落城、廃城となった。なお、防己尾(つづらお)という城名は江戸時代ごろに定着したものであり、天正年間には亀山城、吉岡城と呼ばれた。 == 歴史 == もともと吉岡氏は六反田の丸山城を本拠としていたが、1573年(天正元年)頃に箕上山城(標高297m)に本拠を移した。しかし箕上山城はあまりに峻険かつ深山だったため、前記1579年(天正7年)に防己尾城を築いて新たな本拠とした。 1581年の羽柴秀吉の鳥取城攻撃に際し、吉岡将監は防己尾城に拠って羽柴秀吉に対抗する。湖畔の小城一つと見くびった秀吉は3度にわたって手勢を差し向けるが、将監は変幻自在の戦法で秀吉の大軍を3度とも撃破している。特に2度目の防己尾城攻撃の際は、秀吉自慢の千成瓢箪の馬印も打ち捨てられるほどの大勝だった。 力攻めは不利と悟った秀吉は兵糧攻めに切り替え、糧食つきた吉岡一族は降伏して城を出て、毛利氏の本拠である安芸国など諸国を放浪の末、因幡国にもどって帰農したと伝えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「防己尾城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|